2016年01月08日【神戸新聞NEXT】宮城の遺族、神戸で祈り つながる思い

神戸の被災者魚住哲也さん(左)から竹灯籠を受け取る東日本大震災の遺族田村孝行さん、弘美さん夫妻=17日朝、神戸市長田区の御蔵北公園(撮影・笠原次郎)

神戸の被災者魚住哲也さん(左)から竹灯籠を受け取る東日本大震災の遺族田村孝行さん、弘美さん夫妻=17日朝、神戸市長田区の御蔵北公園(撮影・笠原次郎)

 

 

東日本大震災の被災者らが17日、神戸を訪れた。大災害でいとしい人を失った者同士がいたわり合い、共に祈りをささげた。

東北の震災で長男の健太さん=当時(25)=を亡くした宮城県大崎市の会社員田村孝行さん(55)と妻弘美さん(53)は、神戸市長田区、御蔵(みくら)北公園の追悼行事に参加した。

健太さんは、勤め先の七十七銀行女川支店(宮城県女川町)で屋上に避難し流された。入行3年目。結婚を誓った相手もいた。夫婦は高台に避難させなかった銀行を訴えた。「息子の死を無駄にしたくない」と同町で語り部活動を続ける。

追悼行事で田村さんは、親子3人の名と、「絆」の文字が書かれた竹灯籠を、阪神・淡路大震災で母を失った魚住哲也さん(73)=神戸市須磨区=からもらった。

追悼行事の法要が終わると、「健太君も一緒にお経を上げてもらったんですよ」と魚住さん。孝行さんは「神戸で亡くなった方々と息子がつながった。息子が教えてくれた命の大切さを伝えていく」と誓った。

宮城県名取市の仮設住宅で暮らす橋浦勉さん(67)は、妻美智子さん=当時(57)=を亡くした。

あの日、市内の勤め先から自宅へ戻り、美智子さんと話した。妻が公民館へ行くのを見届けた数分後、自分も向かった。が、公民館に妻はいない。直後、津波が襲ってきた。

5カ月後、美智子さんの遺骨と対面。「あのとき一緒に逃げていれば」。わずかな間の出来事に唇をかんだ。

快活な妻と、しょっちゅうドライブや旅行をした。3月で発生5年だが、今も起きたら妻に「おはよう」。夜は一日の報告をする。

初めて神戸市に来たこの日。二つの震災の発生時刻、午前5時46分と午後2時46分に中央区の東遊園地で阪神・淡路の被災者らと一緒に手を合わせた。

「女房とはラブラブなんだ。今も心の中に生きてるよ」。大好きな相方を、きょうも明日も思い続ける。(森 信弘、藤村有希子)

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