2021年03月12日【日本経済新聞】「息子の命、無駄にしない」宮城の夫妻、企業防災訴え
宮城県松島町ののどかな里山を望む民家の一室は、たくさんの思い出が詰まっていた。砂場遊びをしていた幼少期、野球漬けの少年時代、勤務先の法被姿……。「まさにこれからという時だったのに」。写真を見つめる田村孝行さん(60)、弘美さん(58)夫妻の無念は今も消えない。
東日本大震災が起きた10年前の3月11日、七十七銀行女川支店(同県女川町)に勤めていた長男、健太さん(当時25)は上司の指示に従って屋上に避難し、津波にのまれた。町内にあった他の金融機関の従業員は近くの高台などに逃げ、難を逃れたという。「健太は逃げたくても逃げられなかったのではないか」
何度も銀行に疑問をぶつけたが、納得のいく回答は得られず「生還した行員と直接話すことも許されなかった」(孝行さん)という。東京の大学に進学した健太さんは卒業後、Uターンで就職した勤務先で命を落とした。弘美さんは「私たちの希望をくんで、親孝行のつもりで戻ってきてくれたのかも」と、自責の念を口にする。
銀行の過失責任を問うた訴訟は2016年に敗訴が確定したが「自分の仕事に誇りを持っていた息子の命を無駄にしたくない」との思いは、新たな道を開くきっかけになった。19年、一般社団法人「健太いのちの教室」を設立し、大震災の教訓を伝える活動に奔走している。
地道な活動によって「健太いのちの教室」は少しずつ知られるようになった。「企業は人の力で成り立っている。事前の備えを万全にし、非常時には安全を確保したうえで事業継続を考えてほしい」。マイクを握る時、夫妻は企業防災の重要性を繰り返し訴える。
この先10年、20年たとうと、愛する子どもを失った悲しみは癒えないが、「健太の命をつながなければ」との使命感が自分たちを突き動かしているのも事実だ。「この活動は、健太と3人で続けていく」。息子の存在をそばに感じながら、夫妻は語り続ける。
引用:2021年3月10日 日本経済新聞より