2020年03月11日【日本放送NEWS ONLINE】東日本大震災で失ったもの 二度と被害をくり返さないため講演活動を行う夫婦のストーリー
番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは東日本大震災の津波で、銀行員の息子さんを亡くしたことをきっかけに、日航ジャンボ機事故の遺族とも連絡を取り合い、企業の安全意識向上のため、語りべとして講演活動を行っている夫婦のグッとストーリーです。
東日本大震災で、未曾有の大津波に襲われた街・宮城県女川町。女川まで50キロほどの大崎市に住む、田村孝行さん(57歳)と弘美さん(55歳)は、当時25歳だった長男の健太さんを、震災で亡くしました。
孝行さんは言います。「息子は、銀行で勤務中に地震に遭い、津波にのまれたんです…」
健太さんは東京の大学を卒業後、「地元に貢献する仕事をしたい」と、仙台市に本店を置く地銀、七十七銀行に就職。漁港に隣接する女川支店に配属となり、融資担当として多忙な日々を送っていました。
そんなとき、地震に遭遇。人々が町の指定避難場所の高台に避難するなか、健太さんと上司、同僚13人は、高さ10mほどの銀行の屋上に避難しました。その後、屋上をはるかに超える巨大な津波が襲来。健太さんを含む4人が命を落とし、8人が今も行方不明のままです。
1人だけ奇跡的に生き残った人の証言で、屋上に避難したのは銀行側の指示だったことがわかりました。走れば1分の距離に高さ50mの高台があったのに、なぜ屋上に逃げたのか? 今なお、理由は分からないままです。
「息子は『まだ時間もあるし、高台に移ったほうがいいのでは』と言っていたそうです」と悔やむ孝行さん。
「息子の死を無駄にしないためにも、しっかり検証して、二度とこういう悲劇が起こらないような取り組みをしてもらいたい……そんな思いから、家内と企業の防災意識を高めるための講演活動を始めたんです」
週末になると女川へ出向き、現地での「語りべ」と、全国での講演活動を行っています。
そんなある日、孝行さんは一冊の本に出逢います。85年8月、520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故の遺族有志でつくる「8・12連絡会」代表・美谷島邦子さんが活動をまとめた本でした。
当時9歳の次男・健(けん)さんを亡くした美谷島さん。野球が大好きで、高校野球を甲子園で観るため一人で飛行機に乗り、大阪の親戚宅へ向かう途中、事故に遭ったのです。
美谷島さんたちは日本航空に対し、粘り強く安全対策の徹底を求め続け、はじめは耳を傾けなかった日航側も、事故から20年が経った2005年、事故が多発したことから姿勢を大きく変えました。
それまで非公開だった墜落した機体の一部や遺品などを展示し、日航社員の安全意識を高めるための研修施設「安全啓発センター」を羽田空港内に設置すると発表。過去の様々ないきさつを乗り越え、美谷島さんら連絡会のメンバーも、社員研修に講師として招かれるようになったのです。
地道な活動で、企業側を動かした美谷島さんたちの活動に心を打たれた田村さん夫妻はすぐに連絡を取り、交流がスタート。
実は、田村さんの息子さん・健太さんも大学まで野球をやっており、美谷島さんの息子さんと同じ 、健康の「健」の字が名前に付いています。「何かの縁ですね」という弘美さん。
田村さん夫妻は毎年8月、美谷島さんと墜落現場の御巣鷹山へ慰霊登山を行っています。
今年は健太さんが使っていた野球のボールに、メッセージを書いて供えました。いっぽう美谷島さんも、女川に田村さんたちが建てた慰霊碑を訪れるなど、横のつながりが生まれています。
孝行さんは言います。「女川に行くと、ここに健太はいたんだな、と思います。息子の思いを伝える意味でも、企業の防災意識が変わるよう、語りべとして活動を続けていきたいですね」
引用: https://news.1242.com/article/154107 (日本放送NEWS ONLINE)