2016年12月10日【NHKラジオ 東日本大震災アーカイブス】企業防災の大切さを伝える、語り部活動

 

企業防災の大切さを伝える、語り部活動

永松:宮城県・女川町で、夫婦で語り部を続ける、田村孝行さん56歳と、弘美さん54歳です。
田村さん夫婦は、震災で、当時25歳だった長男の健太さんを亡くしました。勤め先だった銀行での勤務中、上司が避難場所として指示した支店の屋上で、津波にのみこまれました。わずかな距離に、多くの人の命を助けた高台がありました。田村さん夫婦は、今も、毎週末、自宅のある大崎市から車で1時間かけて、健太さんが亡くなった女川町に行き、慰霊碑の前で、「災害時に企業が社員を守ること」をテーマに語り部活動を行なっています。その理由を、お二人に聞きました。

田村孝行:わたしはね、その語り部っていう言葉も、今になればね、そういう言葉があるんだなっていうふうに改めて思ってますけれども、自分がそういうふうなことをするともやはり思ってはいなかったんですよ。あくまでも震災で息子がね、企業の中で起きた事案に対して、どう向き合うかっていうことを、こう、子どもの死から色々こう考えた中で、きっちりその場所に来て、目の前には横倒しのそのビルがあったり、いろんながれきがいっぱいあった、当時はね。全国から来てね、見る人が大勢いて、ただ見てると呆然としてその横になってるかどうかも分からないで、こう見ている姿を、やはり話をするとね、きっちりと、ここで何があって、どういうことがあって、こういったふうにしたらね、命が守れるんだっていうことを、息子の命から、やはり伝える必要があるなっていう思いで、来た人に声を掛けて、一人一人話をしていました。

田村弘美:最初は夢中でしたよ。夢中です、はい。私的には、なぜ息子がここでこのように犠牲にならなければいけなかったのか。なんであの高台に行けなかったの、なぜなの?なぜなの?っていうその思いが、すごく頭の中を巡ってね。この疑問が、やはりあの、銀行との話し合いの中でもその疑問が解けなかったわけですよ。銀行もやはりこの件に関しては、「やむを得なかった」、「想定し得ない津波だった」っていうことでもう説明を終わらせちゃってましたから、「なぜ?」というものに追求する場がなくなっちゃったわけですよね。

田村孝行:走ればね、1分で逃げられる高台があって、なぜ屋上だっていうものが、いまだにね、自分の疑問から消えないわけですよ。私もサラリーマンで、企業人で、やっぱり企業としての在り方がね、これでいいのかなっていうふうに思っているわけですよ。

田村弘美:あの、とにかく私はこの銀行が、もう震災一年後に支店は取り壊しされてしまいましたから、その場にやっぱり立つ、「ここで銀行の方々がこのようにして犠牲になったんです」っていうことを、無意識のうちに、私は伝えていたのかもしれない。そして決してこれって、ひと事の話ではないんですよって。津波ってね、これだけ恐ろしいものなんですって。本当にあなたがねって、ここでね、「もしあのときここで仕事してたら、どうしましたか?」、この職場の中で、上司の指示に逆らって逃げることできたの?できましたか?って私、夢中でしゃべっていたような気がする。決して、ひと事じゃないからね、考えてよって、って言い伝えてたのが、たぶん最初だったと思う。それが徐々に、「企業防災」という、こういう言葉で話をするようになっていったかなっていう気がしますよ。

 

音声は下記サイトからご視聴頂けます。

(NHKラジオ 東日本大震災アーカイブス)

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