2016年03月09日【産経ニュース】伝える ある震災遺族の5年(4)

津波訴訟を起こした遺族らが集まった 「企業の結果責任を追及する。遺族の輪を広げたい」

 

 

■防災の在り方考えたい」フォーラムで決意新たに

 

健太さんの遺影を手元に提訴に至った背景などを説明する田村弘美さん(左)=3月5日、仙台市青葉区(岡田美月撮影)

健太さんの遺影を手元に提訴に至った背景などを説明する田村弘美さん(左)=3月5日、仙台市青葉区(岡田美月撮影)

 

 

「組織の管理下で行動した子らがなぜ帰らぬ人となったのか」「その真相が知りたい」「子供たちに心から謝罪してほしい」-。

3月5日、津波で長男の健太さん=当時(25)=を亡くした田村孝行さん(55)、弘美さん(53)夫妻は、仙台市青葉区の仙台弁護士会館にいた。企業や組織の防災について議論するフォーラム「東日本大震災から学ぶべきもの」。会場には約150人が詰めかけ、聴衆の中には震災で息子を亡くした女性や県内の地方議員の姿もあった。

主催は田村夫妻ら七十七銀行女川支店の被災者家族会。「5年間を振り返り、震災から学んだことを後世に残し、企業や組織における防災の在り方を考えたい」と孝行さんは訴えた。

フォーラムには夫妻の呼びかけで、私立日和幼稚園(宮城県石巻市)、市立大川小(同)、町立東保育所(山元町)、常磐山元自動車学校(同)をめぐる津波訴訟を起こした原告遺族らが集結した。

「どこかで生きていると必死に探している段階で、銀行の宣告は衝撃的だった」。遺族らとともに公開討論の場に登壇した弘美さんは切り出した。

《死亡が確認されたか、行方不明のまま労災保険の手続きを取った場合、平成24年3月31日付で死亡退職とする》

「これが家族に対する銀行からの説明だ。かけがえのない命を奪われ、悲しむ家族への配慮の欠片もなかった」と弘美さんは悔しさをにじませる。説明会翌日の23年9月26日、健太さんは支店から約3キロ離れた海上で見つかった。

これに対し、日和幼稚園から送迎バスに乗り犠牲となった佐藤愛梨ちゃん=当時(6)=の母、美香さん(41)も「娘に心からの謝罪をしてほしかった」と声を絞った。

「助けたかったが助けることができなかったと、心から謝罪してくれたならば私は裁判という方法はとらなかった」。弘美さんの思いは、他の津波訴訟の原告遺族らと同じだった。

フォーラムに際し、こんなコメントが寄せられた。田村さん夫妻と親交のある8・12連絡会(日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被害者家族の会)の美谷島邦子事務局長のものだ。

《被害者・遺族は、個人の罪を問いたいのではないのです。ましてや、補償等が目的ではありません。(中略)事故の教訓を生かしてほしい。何を最優先しなければならないかを企業は心に刻んでほしい。(中略)そして、企業防災の向上について発信し、語り継いでいくことが、地域の人々の信頼を得ることにつながると思います》

健太さんの名前が入った手作りの竹灯籠を贈った神戸市須磨区の魚住哲也さん(74)も夫妻の気持ちに寄り添う一人だ。平成7年の阪神大震災で自宅にいた母、秀子さん=当時(76)=を失った。魚住さんが言う。

「震災は時間がたつにつれ風化するというけど、遺族の心の中には苦しみや悲しみはいつまでも残る。21年過ぎた自分の気持ちも変わらへんのやから…」

常磐山元自動車学校で勤務中に被災し行方不明となった長女、真希さん=当時(27)=を探し続ける大久保三夫さん(63)も「田村さんがいなかったら僕らはきょうここに来ていません」と言い切る。

日和幼稚園に通う春音ちゃん=当時(6)=を亡くした西城靖之さん(47)も「家族同士思いは一緒。同じことは二度とあってはならない」と力を込める。

孝行さんが決意めいた表情でフォーラムを締めくくった。「企業、組織の結果責任は追及し、果たしてもらう。遺族の輪を広げ、今後も信念を持って進めたい。大切な命に代わり宣言する」

引用:https://www.sankei.com/affairs/news/160309/afr1603090028-n1.html (産経ニュース)

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