2021年06月01日世話人メッセージ 和歌山大学 災害科学・レジリエンス共創センター 特任准教授 特定非営利活動法人 まち・コミュニケーション代表理事 博士(工学)  宮定 章

健太いのちの教室の設立1周年おめでとうございます。

 

私が、田村様と出会いは、阪神・淡路大震災の慰霊の日(2016年1月17日)です。

田村様は、神戸市中央区の東遊園地(神戸市で、震災の日に一番多くの人が訪れる会場)だけでなく、わざわざ長田区まで訪問されていました。そして、地区の8割が焼失する被害にあった御菅地区(私の所属するまち・コミュニケーションの事務所が所在)の慰霊法要後の慰霊碑で手を合わせされていました。

ちょうど私は、掃除・後片付けのため、事務所から公園にある慰霊碑まで行っているときでした。私は、熱心にお参りをされている方がおられるなと気になり、どちらからともなく、声をかけあいました。

田村様は、立ち話の後、お忙しい中、事務所まで寄ってくださり、住民やスタッフ等と語り合われました。田村様は、悲しみで語るのが難しい中でもあるに関わらず、5年前の東日本大震災で、亡くなった御子息健太さんへの想いを語ってくださりました。その偶然の出会いから、お互いのメンバーが女川町と神戸を行き来する交流が始まりました。

東日本大震災直後、私は石巻市滞在し、雄勝町(田村様が通われる女川町の隣の町)の復興まちづくり支援活動をしていました。そこで、頻繁に女川町を通りました。石巻から車で雄勝町に向かうとき、女川町立病院の前を通るとき、津波が到達した高台にある病院の駐車場が目に入りました。その駐車場の下の道路に、田村ご夫妻が、病院のある高台の下に位置するモニュメントの前に、いつも立たれていた様子が印象に残っています。その後は通る度に、いつもおられるのではないかと思い、車中ではありますが、モニュメントの方を見てしまいます。私が印象に残っているのは、田村ご夫妻は、雪降る日でも、誰か来られるのではないかと、モニュメント近くに立っておられたことです。(もちろん訪問されている方に話されている様子も、今日も来られているなあと印象的ですが。)なぜなら、モニュメントの前に立って、通り過ぎる方を待って声をかけられ、新たな出会いをたくさんつくっておられるからです。私が、田村様に、女川町でどのような出会いがあるのか、聞かせていただくと、田村様のことは知らずに女川町を訪問し、モニュメントの前に来て、田村様と出会い、防災を意識した方も数人おられるとおっしゃっていました。実際、女川町で田村様にそのようにして出会った若者が、友人を連れ、田村様の語りから学ぶため再訪している時に、私も一緒させていただき、田村様の語りが拡がっている様子を感じました。

今後も、健太いのちの教室の活動を継続されれば、ますます伝える機会が増えてくると思います。田村様の行動力を活かし、今後も女川で、そして全国で、防災意識を高められていかれることと、益々のご活躍を祈念いたします。くれぐれもお身体にはご自愛ください。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

2021年6月1日

 

和歌山大学 災害科学・レジリエンス共創センター 特任准教授

特定非営利活動法人 まち・コミュニケーション代表理事 博士(工学)

 

宮定 章

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